実践!個人心理学(入門)

『目的論』と『原因論』

 

 

私はどちらかというとメンタルが凹みやすい性格です。

 

『私の将来どうなって行くんだろう?』
『子供が全然言うことを聞いてくれない・・・育児って難しい』
『最近、体重が増えすぎてる!お腹のお肉が・・・!?』

 

重大なことから些細なことまで、一度悩みだすと出すと精神状態はガタガタです!

 

プライベートでもそんな感じなのに、
職場で管理者になってしまうと・・・業務のこと、後輩指導のこと・・・悩むネタに事欠きません(汗)

 

 

そんな私は、今まで何冊も『あなたの気持ちを軽くする♪』的な自己啓発本を読んできました。

 

本の中では、
『あなたが悩んでいるのは、○○が原因です。だから、△△すれば良いのです』という風に、
私がなぜ悩んでいるのか、そして、どのようにその原因に対処するべきかが書かれていました。

 

本を読んだ時には、『なるほど〜!そういう理由で私は悩んでたのね!』と納得し、
メンタルが凹んでしまう原因に対するアクションも明確になっているので、気分が晴れたように感じました。

 

 

しかし、しばらくすると、私はまた悩みごとを抱えて、眠れない夜を過ごすことになるのです!

 

『この前読んだ本には、私が落ち込む原因は〇〇だって書いてあった。』
『それに対するアクションは取って来たつもりなのに・・・何がいけないんだろう』と考えては、

 

『もしかしたら、新しい本を読めば問題解決の糸口になるかもしれない!』と思い立ち
新しい本を読まくるという生活をしていました。(その後、このサイクルの無限にループに陥ります)

 

 

 

アルフレッド・アドラーが提唱する『個人心理学』の中では、
私のように、『悩みごとにぶつかる度に、原因を探し、問題解決方法を探す』という方法を見て、
『そんなやり方では一生、問題は解決しないないし、悩みごとはなくならない!』と指摘します。

 

 

なぜなら、アドラーは、『原因を突き止め解決する』という方法では対人関係における悩みごとは解決出来ず、
それとは違った考え方・アプローチをしなければならないと考えたからです。

 

 

私は、このアドラーの考え方を知り、
今までとは『違った』悩みごとへの対処方法を実践する事で、
今までとは全く別のメンタルマネジメントが出来るようになりました。

 

その結果、今までのように『悩む→解決する→悩む→解決する』の
永遠に終わらない悩みごとのループから抜け出せるようにもなりました。

 

今回は、アドラーが提唱した『目から鱗』な問題解決のフレームワークをあなたにご紹介します。
あなたにもこのフレームワークを活用して、
自分自身のメンタルマネジメントや同僚、後輩・部下の気持ちを理解することに役立ててもらえたらと思います。

 

 

目的論と原因論について

それでは早速、悩みごとに関する従来の考え方、アドラーの考え方について紹介していきましょう!

 

フロイトが提唱した考え方:原因論

今までの私がそうしてきたように、問題解決に当たって、
『この状況・問題には原因があるはずだ!一体、それは何だろう?』
と考える方法論を『原因論』と言います。

 

原因論は心理学者・精神科医として世界的に有名な
ジークムント・フロイトによって提唱されました。
心理学の難しい言葉を知らなくても、『フロイト』という名前はあなたも聞いたことがあるかもしれません。

 

原因論の最も分かりやすい例はトラウマです。
『彼女は、元カレに浮気されたから、それがトラウマになって、ずっと男性不信になっている。』

 

これは、『男性不信』という状況は、
『元カレの浮気』という原因(トラウマ)のもとに起こっていると考えるということです。

 

この論理は何らおかしなところがあるように感じませんよね?

 

 

 

 

実際、この原因論は現代医学でも通用している考え方ですし、
私たちが自分たちの状況を説明するときにも、
『〇〇という原因があるから、今の私たちは△△なんだ』というように話すと思います。

 

 

しかし、先程も書いたように、アドラーは
『原因論で考える限りは、悩みごと・問題は解決しない』と考えました

 

では、アドラーはどのように考えたのでしょうか?
そして、彼はフロイトが提唱した『原因論』に対して、どんな理由をもって否定したのでしょうか?

 

アドラーが提唱した考え方:目的論

アドラーは
『この状況・問題を抱えていることには(私なりの)目的があるはずだ!一体それは何だろう?』
と考える『目的論』を提唱しました。

 

別の言い方をすれば、
『我々はみな、何かしらの”原因”があって、今の状況がある』と考える原因論に対して、
『我々はみな、何かしらの”目的”があって、今の状況を作りだしている』と考えるのが目的論と言えます。

 

 

例えば、さきほどの
『彼女は、元カレに浮気されたから、それがトラウマになって、ずっと男性不信になっている。』
という女性を目的論に変換して捉えなおすと、

 

『彼女は、なんらかの目的があって、男性不信という状況を作りだしている(利用している)』と考えるということです。

 

(その目的は男性と再度お付き合いする事への恐怖かも知れませんし、
実は独り身でいることが気が楽なのかもしれません。
いずれにしても、男性不信という状況が彼女にとって利益があるのです。)

 

 

 

アドラーの目的論を語る上でよく例に出されるのですが、
『昔、学校の友達になじめず、勉強にもついて行けなかったから、引きこもりになった』
という世間でよくありがちな話も、アドラーの目的論の前では

 

『いやいや、あなたは引きこもりたい目的があるのではないですか?』、
『引きこもることがあなたの得(利益)になっているのではないですか?』
と言い放たれてしまうのです。

 

 

いやいや!その言い方はひど過ぎない!?

目的論の前でこんな風に自分の状況を論破されてしまうと、

 

『いやいや、いくらなんでも、その言い方はひど過ぎない!?』、
『男性不信の女性も、引きこもりの人も、それなりの理由(原因)があって、そういう状況にいるんだよ!』、
『彼らなりに、その状況に苦しんでいるんだよ!』、
と反論したくなりませんか?

 

私自身、初めて目的論の考え方に触れた時は、
『おお!アドラーさんすごい考え方を持ち出してきたなぁ!』とびっくりして、ちょっと反感を覚えました。

 

なんせ、アドラーの考え方は、今まで私が慣れ親しんできた考え方を真っ向から否定するものだったからです。

 

 

でも、アドラーはこれらの反論に対して、以下のように考えます。
『男性に浮気された女性、全員が男性不信になりますか?』
『学校になじめず勉強について行けなかった人全員が、引きこもりになりますか?』

 

そして、さらに進んで

 

『男性に浮気されたからこそ、より良い男性とめぐり会う努力をして、幸せになった女性もいるのではないか?』
 
『学校になじめず、勉強が出来なかったからこそ、人とは違う分野で成功した人もいるのではないか?』と考えます。

 

 

つまり、『A(という過去)がB(という現在)を作った』と100%言い切ることは出来ないということです。

 

もし、『過去の出来事がトラウマとなって現在の状況を作りだしていると』考えるならば、
それは『あなたが過去の出来事をトラウマとして選択し、現在の状況に結び付けているだけだ』
とアドラーは考えるのです。

 

 

アドラーに心の奥底を見抜かれた気がするのは私だけ!?

 

アドラーの考え方は、初めて触れる人には過激ですし、
今までの考え方と全く違った観点から問題に光を当ててきます。

 

そのため、私は素直に
『うぅ!アドラーに心の奥底を見抜かれている感じがする』と思いました。

 

 

私は若い時から人見知りで、
大人数の人と行動するのが得意ではありませんでした。
会社の飲み会はもちろんのこと、
知らない人が沢山集まる勉強会や交流会は出来るだけ避けてきました。

 

そんな自分の状況を
『私は人見知りだから、大人数の人といると楽しめないんだよなぁ』と考えていました。

 

そして、みんなと集団行動が出来ない自分や、大勢の人と楽しい時間を過ごせない自分のことを悲しく思っていました。

 

 

でも・・・本当は違っていました。
本当は、心の奥底では安心していたのです。

 

『はぁ〜、今回の飲み会も何とか回避できた・・・。仕方ないよね・・・。だって人見知りなんだもん』と。

 

本当は、心の奥底では分かっていたのです。

 

『人見知りだから、集団行動が出来ない』のではなく、
『集団行動をしたくないから、人見知りであることを理由に持ち出している』ということを。

 

 

私の場合は、自分自身に自信が持てず、
『知らない人と対人関係を作っていくのが怖い。傷つきたくない。』という想いがあり、
その目的を達成するために『人見知り』という『原因』を利用していたのです。

 

 

アドラーは『原因論』を否定し、『目的論』の観点から考えます。

 

アドラーは私に、
『あなたは、人見知りだから集団行動できないのではない。集団行動したくないという目的があるんですよね?』
『集団行動しないことが、あなたにとってメリットがあるんですよね?』
と指摘するのです。

 

アドラーの指摘は私の胸にグサリッ!グサリッ!!と突き刺さります。
まさに、『その通り!ご名答!!もう言わないで・・・許して・・・』って感じです。

 

人が薄々気付いていながらも、見ないように見ないようにしてきた本当の気持ちを、
何のためらいもなくズバリとアドラーは言い当てるので、若干イラッとしたほどです。

 

アドラーの目的論に立って考えると、
この『薄々自分でも気付いていた本当の気持ち』に否が応でも向き合わなくてはならなくなります

 

あなたが自分自身の問題・悩みに関して『目的論』的に考えると、どんな風に感じるでしょうか?

 

今回は、『人が抱える問題をどう捉えればいいのか』に関して、アドラーの『目的論』という考えをご紹介しました。

 

『目的論』の立場に立って、自分や他者の課題を捉えなおす時、そこに新しい視点が生まれます。
そして、そこで芽生えた新しい視点は、自分自身と他者に対するより深い理解をもたらしてくれるでしょう!

 

当ページの内容が、少しでもあなたが個人心理学・アドラーの教えを理解するのに役立てばうれしいです。
理解するのは簡単だけど、実践するには、あなたの『勇気』が試されるアドラーの教え。
私もあなたと一緒に少しづつ学びを深めながら、アドラーの教えを身につけていきたいなと思っています。

 

 

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